ポストCookie時代のリターゲティング再構築:Cookieに頼らない識別子とデータ活用戦略
はじめに:リターゲティング戦略の再構築が急務である理由
サードパーティCookieの段階的な廃止は、デジタル広告の基盤に大きな変革をもたらしています。特に、これまで広く活用されてきたリターゲティング(追跡型広告)戦略は、その大部分がサードパーティCookieに依存していたため、大きな影響を受けることが避けられません。
ウェブサイト訪問履歴や特定の行動履歴に基づき、興味・関心が高いであろうユーザーに再度アプローチするリターゲティングは、高いコンバージョン率やROIに貢献してきました。しかし、プライバシー保護強化の潮流の中でサードパーティCookieが利用できなくなることにより、従来の精緻なユーザー追跡とターゲティングは困難になります。
本記事では、広告代理店のメディアプランナーの皆様がポストCookie時代においても効果的なリターゲティング戦略を継続できるよう、Cookieに頼らない新しい識別子とデータ活用アプローチ、主要な技術、プラットフォームの対応状況、そして実践的な戦略再構築のポイントについて解説します。
Cookie時代のリターゲティングの仕組みと限界
サードパーティCookieを活用した従来のリターゲティングは、主に以下の仕組みで成り立っていました。
- ユーザーが広告主Aのウェブサイトを訪問。
- サイトに設置されたタグ(広告プラットフォームやベンダーのもの)がサードパーティCookieをブラウザに保存。
- ユーザーが別のサイト(サイトB)を訪問。サイトBにも同じ広告プラットフォームやベンダーのタグが設置されている。
- タグがサイトAで保存されたサードパーティCookieを読み取り、「このユーザーは以前サイトAを訪問した」と識別。
- 広告主Aは、このCookie情報を基にサイトB上でユーザー向けに広告を配信する。
この仕組みは、ユーザーのウェブサイト横断的な行動を追跡し、高度なターゲティングを可能にしましたが、ユーザーの同意なく広範なデータ収集が行われる点や、異なるサイト間での行動追跡がユーザーのプライバシー侵害にあたるのではないかという懸念が高まりました。これが、ブラウザベンダーによるサードパーティCookie規制強化の大きな要因となっています。
ポストCookie時代における新しい識別子とアプローチ
サードパーティCookieに依存しないリターゲティングを実現するためには、新しい識別子の活用や、異なるターゲティングアプローチへのシフトが必要です。主な新しい識別子とアプローチ、および関連技術は以下の通りです。
1. ファーストパーティデータ活用
最も重要かつ信頼性の高いアプローチの一つです。広告主自身が直接収集したデータ(ファーストパーティデータ)を識別子として活用します。
- 概要:
- ウェブサイトへのログイン情報(ユーザーID)、会員情報、購買履歴、ウェブサイト上での行動履歴(閲覧ページ、カート追加、検索履歴など)。
- 顧客管理システム(CRM)に蓄積されたデータ。
- 識別子: 広告主サイトのログインID、ハッシュ化されたメールアドレスや電話番号など。これらのデータはファーストパーティCookieやサーバーサイドで管理されます。
- リターゲティングへの応用:
- ウェブサイトでの行動に基づいたリターゲティング(例: 特定の商品ページを見たユーザー、カートに商品を入れたまま離脱したユーザー)。これはサードパーティCookieに依存せず、ファーストパーティCookieやユーザーIDで実現可能です。
- CRMデータとの連携によるリターゲティング(例: 過去に特定商品を購入した顧客層への新商品広告、休眠顧客への再活性化広告)。
- 課題解決: サードパーティCookie規制の影響を受けにくい、プライバシー保護規制に比較的準拠しやすい(同意取得が前提)。
- メリット: データ精度が高い、顧客との関係性が深い、プライバシー配慮型。
- デメリット: スケーラビリティに限界がある(自社サイト訪問者や顧客に限られる)、データ統合・整備にコストがかかる、オフラインデータとの連携は技術的ハードルがある。
- 関連技術: CDP(カスタマーデータプラットフォーム)によるファーストパーティデータの統合と管理、Server-Side Taggingによるデータ収集強化。
2. 代替IDソリューション
業界各社が提案する、サードパーティCookieに代わるユニバーサルなユーザー識別子です。
- 概要: ログインID、メールアドレス、電話番号などをハッシュ化したデータ、またはIDベンダーが生成する匿名化された識別子などを使用します。これらの識別子は、パブリッシャー(メディア)、広告主、アドテクベンダー間で共有・連携されることを目指します。
- 識別子: ハッシュ化されたメールアドレスや電話番号に基づくID、各種IDベンダーが提供する匿名化ID (例: Unified ID 2.0, NetID等)。
- リターゲティングへの応用: パブリッシャーサイトでの行動データを、同一の代替IDを持つ他のサイトでの広告配信に活用(クロスサイトトラッキングの代替)。
- 課題解決: サードパーティCookieに依存しないクロスサイトでのユーザー識別。
- メリット: 理論的にはCookieに近いスケーラビリティを持ちうる、エコシステム全体での連携が期待できる。
- デメリット: 普及状況がまだ途上、ユーザーの同意取得が必須(ID連携への同意など)、パブリッシャーや広告主の参加が不可欠、特定のプラットフォーム(Google, Meta)内では利用できない場合がある。
- 関連技術: IDグラフ(複数の識別子を統合して同一ユーザーと推定)、Clean Room(プライバシー保護下でのデータ連携)。
3. コンテキストターゲティング
ユーザーの過去の行動履歴ではなく、現在閲覧しているページのコンテンツ内容に基づいてターゲティングを行う手法です。
- 概要: AIや機械学習を用いて、ウェブページや動画の内容(キーワード、テーマ、感情など)を分析し、そのコンテンツに関心を持つ可能性が高いであろうユーザーに広告を配信します。
- リターゲティングへの応用: 直接的な「リターゲティング」ではありませんが、特定の製品やサービスに関心を持つ層が頻繁に閲覧するであろうコンテンツカテゴリに広告を配信することで、リターゲティングに近い効果を狙う補完的なアプローチとして有効です。
- 課題解決: ユーザーの追跡が不要なためプライバシー規制の影響を受けにくい。
- メリット: プライバシーに配慮されている、実装が比較的容易。
- デメリット: ユーザーの過去の行動履歴に基づかないため、リターゲティングほどの精度や確実なリーチは期待しにくい。
4. Google Privacy Sandbox関連API
GoogleがChromeブラウザ上でサードパーティCookieの代替として開発しているAPI群です。
- 概要: ユーザーのブラウザ内でデータ処理を行い、プライバシーを保護しつつターゲティングや計測を実現することを目指します。リターゲティングに関連するAPIとして、主に「Protected Audience API」(旧FLEDGE/TURTLEDOVE)があります。
- Protected Audience API: ユーザーの閲覧履歴に基づきブラウザが「インタレストグループ」(興味・関心グループ)を内部で管理し、広告オークションもブラウザ内で行う仕組みです。広告主やアドテクベンダーはユーザー個人の閲覧履歴にはアクセスできません。
- リターゲティングへの応用: ウェブサイト訪問履歴に基づいたインタレストグループ作成(例: 特定の商品カテゴリーを見たユーザーのグループ)を利用したターゲティング。
- 課題解決: ブラウザレベルでのプライバシー保護とリターゲティングの両立。
- メリット: Google Chromeという主要ブラウザでサポートされる(予定)、ユーザー個人のデータが外部に共有されない。
- デメリット: 既存のリターゲティングほどの柔軟性や詳細なセグメンテーションが難しい可能性がある、APIの仕様がまだ開発途上であり変化する可能性がある、ブラウザ外(アプリなど)には適用されない。
5. その他のアプローチ
- 予測モデリング: 収集可能なデータシグナル(ファーストパーティデータ、コンテキスト情報、集計データなど)を基に、特定の行動(例: コンバージョン)を起こす可能性が高いユーザーセグメントを予測し、ターゲティングに活用します。
- 集計データ活用: Clean Roomなどを通じて集計・分析された匿名データや統計データに基づいて、特定の属性や興味関心を持つユーザーが多く存在するメディアやセグメントにターゲティングを行います。
主要プラットフォームの対応状況と活用戦略
主要な広告プラットフォームやアドテクベンダーは、ポストCookie時代を見据え、上記で述べた新しい識別子やアプローチに対応するためのソリューション開発を進めています。
- Google Ads & DV360: GoogleのプロダクトはPrivacy Sandbox APIを積極的に推進します。また、Google Analytics 4(GA4)を活用したファーストパーティデータの収集・分析、オーディエンスリスト作成を強化しています。Consent Mode v2の導入は、同意管理とデータ収集・モデリングを連携させる上で重要です。
- Meta (Facebook/Instagram): Metaはログインユーザーベースのファーストパーティデータエコシステムを構築しており、サードパーティCookieへの依存度は比較的低いとされています。Conversions API (CAPI) を活用したサーバーサイドからのコンバージョンデータ送信を推奨しており、これはCookieに依存しない正確な効果計測とターゲティング最適化に不可欠です。
- 主要DSP/SSP: 多くのDSP/SSPは、代替IDソリューション(Unified ID 2.0等)との連携を強化しています。また、パブリッシャーのファーストパーティデータ活用支援、コンテキストターゲティング機能の高度化、Privacy Sandbox APIへの対応準備を進めています。広告主・代理店側は、利用しているプラットフォームがどの代替IDや技術に対応しているかを確認し、最適な組み合わせを検討する必要があります。
リターゲティング戦略を再構築する際は、特定のプラットフォームに依存せず、各プラットフォームの特性と対応状況を踏まえ、複数のアプローチを組み合わせることが現実的です。例えば、Metaのようなログインユーザー基盤のプラットフォームではCAPI連携を主軸としつつ、オープンウェブのDSP/SSPではファーストパーティデータ、代替ID、Privacy Sandbox APIを組み合わせるといった戦略が考えられます。
実践的なリターゲティング再構築のユースケース
ポストCookie時代のリターゲティングは、単一の万能な解決策ではなく、複数のアプローチを組み合わせることで効果を発揮します。以下にいくつかのユースケースを示します。
-
ユースケース1:ECサイトでのカゴ落ち対策
- アプローチ: ウェブサイトのファーストパーティデータ(カートに商品を入れたユーザーのログインIDや、紐づけられたハッシュ化メールアドレス)を収集。
- 活用: これらのデータを基に、MetaのCAPIや、代替IDに対応したDSP経由で、カゴ落ちユーザーに対して該当商品のリマインダー広告を配信。
- ポイント: 精度の高いファーストパーティデータと、連携先のプラットフォームの対応状況が鍵。
-
ユースケース2:コンテンツサイトでのリエンゲージメント
- アプローチ: 特定の記事カテゴリを深く読んだユーザーのファーストパーティデータ(ユーザーID、閲覧履歴)を収集。Privacy SandboxのProtected Audience APIを用いて、ブラウザ内でインタレストグループを作成。
- 活用: そのインタレストグループに対し、関連性の高い新しいコンテンツやメールマガジン登録を促す広告を配信。または、代替IDに対応したパブリッシャーネットワーク上で同様のユーザー層にリーチ。
- ポイント: プライバシーに配慮しつつ、ユーザーの興味関心に基づいた再接触を図る。Privacy Sandboxはユーザー単位の行動履歴取得を伴わない。
-
ユースケース3:BtoBサイトでの見込み顧客育成
- アプローチ: ウェブサイト上で特定のホワイトペーパーをダウンロードしたユーザーや、問い合わせフォームまで到達したユーザーのファーストパーティデータ(ハッシュ化メールアドレス、会社名など)を収集。
- 活用: これらのデータをClean Roomなどを経由して安全に連携し、代替IDに対応したDSPや特定のBtoB向けプラットフォームで、関連性の高い製品・サービスの広告を配信。LinkedInのようなログインIDベースのプラットフォームも有効。
- ポイント: データの匿名化・集計と、プライバシー保護された環境でのデータ連携が重要。高額商材の場合は、オンライン広告だけでなくインサイドセールスへの連携も視野に入れる。
これらのユースケースでは、単にCookieの代替技術を導入するだけでなく、ファーストパーティデータの収集・整備、同意管理、そして異なる技術やプラットフォームを連携させるための戦略的視点が不可欠です。
効果計測の課題と対策
リターゲティングの効果計測も、サードパーティCookie廃止により影響を受けます。クロスサイト・クロスデバイスでのユーザー行動追跡が困難になるため、従来のラストクリックアトリビューションに依存することは難しくなります。
- 課題:
- リターゲティング広告接触後のコンバージョン経路の把握が困難になる。
- 異なるプラットフォーム間での重複コンバージョン計測。
- ビューアブルコンバージョンの計測精度低下。
- 対策:
- コンバージョンモデリング: 限られたデータシグナルや集計データに基づき、AI/機械学習モデルでコンバージョンを推定・補完します。GA4や主要プラットフォームで提供されるモデリング機能を活用します。
- 増分効果(インクリメンタリティ)測定: リターゲティング広告を配信したグループと配信しなかったコントロールグループを比較し、広告配信によって追加で発生したコンバージョン(増分効果)を測定します。Clean Roomを活用した計測も有効です。
- Server-Side Tagging/Conversions API: より正確なコンバージョンデータをサーバーサイドから広告プラットフォームに送信することで、計測の精度を向上させます。
- MMM(マーケティングミックスモデリング): 広告チャネル全体だけでなく、市場環境、競合、プロモーションなどの様々な要因がコンバージョンに与える影響を統計モデルで分析し、広告効果を巨視的に把握します。リターゲティング単独の効果測定は難しい場合でも、他の施策との兼ね合いで評価が可能です。
プライバシーとコンプライアンスの重要性
ポストCookie時代のリターゲティング戦略は、プライバシー保護規制(GDPR, CCPA, 改正個人情報保護法など)への遵守が不可欠です。
- 同意管理の徹底: ファーストパーティデータの収集・活用、代替IDソリューションの利用には、ユーザーからの適切な同意取得が必要です。CMP(同意管理プラットフォーム)を導入し、ユーザーの同意ステータスに応じてデータ収集や連携を制御することが重要です。
- データガバナンス: 収集したファーストパーティデータや連携する外部データの管理体制を強化し、利用目的の明確化、アクセス制限、セキュリティ対策などを徹底する必要があります。
- 匿名化・仮名化技術の活用: Clean Roomやプライバシー保護コンピューティング技術を活用することで、個人情報を特定できない形でデータを分析・活用することが可能になります。
今後の展望とメディアプランナーへの示唆
ポストCookie時代のリターゲティング戦略はまだ発展途上であり、今後も技術進化や業界標準の変化が予想されます。
- 技術の進化: Privacy Sandbox APIの普及状況、代替IDソリューション間の連携や標準化、プライバシー保護コンピューティング技術の実用化などが進む可能性があります。
- プラットフォーム間の連携: オープンウェブとWalled Garden(プラットフォーム内の閉じたエコシステム)間のデータの連携や、異なる代替ID間の連携がどのように進むかが注目されます。
- メディアの役割: パブリッシャー(メディア)が持つファーストパーティデータの価値が増大し、メディア側が提供するデータシグナル(SDA: Supply-Side Audienceなど)を活用したバイイング戦略がより重要になります。
メディアプランナーは、これらの変化を常にキャッチアップし、クライアントの事業特性、保有データ、ターゲット顧客に最適なリターゲティング戦略を柔軟に提案する必要があります。単一の技術に依存せず、ファーストパーティデータ、代替ID、Privacy Sandbox、コンテキストターゲティングなどを組み合わせた統合的なアプローチ、そして効果計測方法を含めた提案力が求められます。
まとめ
サードパーティCookieの廃止は、長年慣れ親しんだリターゲティングの形を根本から変えつつあります。しかし、これはリターゲティングが不可能になることを意味するのではなく、ファーストパーティデータを主軸とし、代替ID、Privacy Sandbox API、コンテキストターゲティングといった新しい識別子とアプローチを組み合わせることで、よりプライバシーに配慮しつつ効果的な戦略を再構築する機会です。
メディアプランナーとしては、これらの新しい技術やソリューションの仕組みを正確に理解し、各プラットフォームの対応状況を踏まえながら、クライアントの目標達成に貢献できる最適な戦略を設計・実行していくことが求められます。データの収集・管理体制、同意管理の徹底、そして新しい効果計測手法の導入も、成功に向けた重要な要素となります。変化を前向きに捉え、新しい時代のリターゲティング戦略をリードしていきましょう。